正論を指摘されて逆ギレする人の心理 自分で分析できないと「怒り」に? 正論を指摘されて怒る人の理由とは? 「怒り」という感情は、いつ・なぜ生まれるのか
2022年、あなたはどんな一年にしたいですか?
「今年は〇〇を頑張りたい」と答えられる方もいれば、その一方で「いきなり聞かれてもわかんないな…」と思う方も多いでしょう。
そんな方は、まずは自分の「感情」に目を向けてみてはいかがでしょう?
編集者の佐渡島庸平さん、予防医学研究者の石川善樹さん、漫画家の羽賀翔一さんの3人による書籍『感情は、すぐに脳をジャックする』には、あまり見つめることのない自分の感情を知覚するための方法が紹介されています。
今回は「怒り」というテーマで3人が鼎談。「怒り」を客観視すると、どんな姿が浮かび上がってくるのでしょうか?
佐渡島さん:(石川)善樹が教えてくれた、ハーバード大学の研究で使われている「感情のチェックリスト」では、「怒り」と「イライラ」が別の感情として分類されていたよね。
でも僕としては、この2つは同一線上にあって、強度の違いじゃないかと思っているんだよ。イライラの先に、より強い感情として怒りがあるイメージ。
石川さん:基本的に違うものとしているね。
その理由を探るためにも、最近、自分が何に怒ったかを思い出そうとしたけれど…怒るほどの出来事がなかった。
日常においては、怒りよりもイライラのほうが頻度は高い気がする。
佐渡島さん:善樹が怒るイメージってあまりないけれど、イライラすることあるの?
石川さん:そうだなあ…たとえば、研究室で進めている論文のドラフト版がスタッフから送られてきたとき、そのクオリティにイライラすることはあるかな(笑)。
期待しているぶんイライラしてしまい、でもイライラを相手にぶつけたところで、その行為が成長につながるわけではない。
とはいえ期待しないと成長もないわけで…って、どうすればいいの!?
羽賀さん:それって、善樹さん自身に作業負担が増えてしまうことにイライラしているんですか?
石川さん:いや、期待する水準に達していないことに対してだね。
結局、一番成長していないのは僕自身なんだよ。
いろいろと考えてフィードバックをしても、それが相手に正しく届いてなかったりすると、「自分はいったい何を見落としているんだ?」とイライラする。
羽賀さん:僕の場合、イライラという感情は、まだ許せる範囲な気がします。
かなり前の話ですが、混んだ電車の中でおもむろに大きなコーンアイスを食べはじめた人がいたんですよ。しかも立ったままで。僕はすぐそばに立っていたので、電車が揺れるたびにイライラしていました。
でも同時に、「この状況でアイスを平気で食べられる人がいるんだなあ」と面白がる気持ちもあって、正直、許せないほどではない。だから「怒ったか」というとちょっと違う。
これが怒りだったら、もっと「許せない」という感情が強いと思います。
佐渡島さん:そういえば僕も先日、コルクの社員から「佐渡島さん、さっき怒っていましたね」と指摘されたなあ。僕としては怒っているのではなくて、強く注意しているつもり。
でも相手に対してイライラは感じていたと思う。
だから「怒っていましたね」と言われたら「怒ってはいないよ」と返すけれど、「イライラしていましたね」と言われたら、「いやあ、そりゃあイライラするよ!」と答える(笑)。
さっき善樹も言っていたけれど、怒っているのはむしろ、望んでいるアウトプットを一緒に出せていない自分に対してだな。相手にはイライラして、自分には怒っている。
そう考えると僕たちは日頃、「イライラ」も「怒り」として扱ってしまい、間違った認識をしている可能性があるな。
石川さん:感情の捉え方に、ミスが起きているのかもね。
佐渡島さん:そうだと思う。感情を雑に捉えていると、強い口調で言われただけで「怒っている」とか「怒られた」になってしまう。
「この感情はイライラなのか? それとも怒りなのか?」と自分に問いかけることで、もっと丁寧に向き合えるようになるんじゃないかな。
となると、「イライラ」と「怒り」は同一線上にあるとはかぎらず、別の感情とするハーバード大学の考え方も当てはまっているわけだ。
石川さん:「怒り」は、その種類によって爆発的なパワーを発揮することがあるけれど、思わぬことに怒りを感じて進んでいる人はすごいと思う。
過去の革命を振り返っても、国王による統治に怒りを感じて立ち上がった人々がいるわけで。「封建制度はダメだ!」とか「王様を倒せ!」という怒りの感情が歴史を変えてきた。
現代だと、政治以外でもあるよね。
環境保護の分野では、大量の海洋プラスチックごみが海を汚染していることに怒りを感じたオランダの青年が、18歳でNGOを立ち上げて画期的なアイデアでごみを回収する『オーシャン・クリーンアップ』プロジェクトを打ち出している。
今や世界規模での活動になっていて、この感性はすごいと思う。
佐渡島さん:怒りにかぎらず、感情が大きいというのは成功するための条件でもあるよね。
多幸感が強いと多くの人にさまざまなかたちでギブできるから、結果的にそれが自分にも返ってくることになる。
ただ、ネガティブ感情はうまくマネジメントしないと、自分の身を滅ぼすと思う。
僕は、自身の怒りに対しては長くとらわれないようにしようと考えていて、怒りを行動の源泉にしたことはないなあ。
石川さん:そういえば、一般的に正しいとされていることを指摘すると怒る人っていない?
いわゆる「逆ギレ」ってやつ。あの心理はどうなっているのだろう。
佐渡島さん:正論ってわりと抽象的なものだからね。
自分がしっかり思考できていないことを指摘されるから、反論できずにイライラするのかな。
冗談っぽくいじられることに対して怒る人もいるけれど、最初にまず戸惑いという感情が起きて、それを自分の中でうまく分析できないと「怒り」になっちゃう。
実を言うと僕は、相手を知る手段として意図的にその人をイライラさせることがある(笑)。
幸せや誇り、希望といった感情を短時間で生み出すことはできないけれど、イラッとさせることは、一瞬かつ一言でできるから。
「なるほど、この人はここがイラッとポイントか〜」みたいなところから理解が深まって、会話の幅が広まっていくんだよ。
初対面の人と友達になるのに、イライラポイントを知るのはいい方法だと思うけれどなあ。
羽賀さん:佐渡島さん、新人マンガ家との打ち合わせでもその手法を駆使していますね(笑)。
佐渡島さん:している(笑)。
テーマが少し逸れるけれど、人が成長するのって、いろいろな基準を内在化させていくことだと思っているから。子どものころって、そもそも基準自体を知らないからすべてが外側にある。
そこから自分なりの基準をいくつも作っていくことが、大人になるという過程じゃない?
新人マンガ家と打ち合わせをしていて感じるのは、作品を良くするための打ち合わせなのに「僕の評価」をすごく気にしていること。
基準が外在している。そうなると、褒めることから始めないと進まなくなってしまうんだよ。
羽賀さん:自分の作品に対する評価も、内在化させるってことですか?
佐渡島さん:そう。それをいかに早くできるようになるか。
評価が内在していると、逆に自分の視点が歪んでいるんじゃないかと思うようになるから、むしろ批判的な視点が欲しくなる。
僕なんか、批判的なことを言ってくれる人を探しに行っちゃうけどな。そういうときの振り返りが一番うまくいくから。
…まあ、その意見を聞くかどうかは別だけど(笑)。
石川さん:佐渡島君の「イラッとポイントを探る」に近いけれど、昔会った新聞記者の言葉を思い出した。「その人のことを深く理解したければ、何に怒りを感じるのかを知るといい」と。
たとえば、佐渡島君が怒っているように見えるときは、「佐渡島君が大事にしているものがあって、それが満たされていないんだな。じゃあ、それは何だろうか?」と考えてみる。
「怒り」が大切なものが脅かされたときに起こるものならば、こうしたサインとして捉えることもできるよね。
逆に大切なものがない人や、それが脅かされる心配のない人は、あまり怒らないのかもしれない。
佐渡島さん:「怒り」って、感情の中ではかなり原始的なものだよね。
「恐怖」なんかもそうだけれど、人にかぎらず多くの動物にも存在するし。
石川さん:怒りなどのネガティブ感情や強い感情を爆発させていると、周囲は本能的にそれを避けようとする。
対処に慣れていないというか、ネガティブ感情に積極的な意味を見出すのが苦手なのだろうな。つい逃げちゃう。
佐渡島さん:マンガの世界だと、むしろ「怒り」や「悲しみ」といったネガティブ感情のほうが、強弱がつけやすくて表現もしやすいよ。
怒っている顔を5段階で描き分けることはわりと簡単だけれど、安心している顔の5段階は難しい。
「今よりもっと安心できる顔して」なんて言われても困りそう。
羽賀さん:「感謝」や「希望」なんかも、けっこう難しいですね。言葉や行動、エピソードでなら描けそうですけれど…
佐渡島さん:ネガティブ感情のほうが、視覚的に読み取りやすいってことか。
石川さん:そこで僕が目指したいと思った境地が、能面。能面にはあらゆる感情が詰まっていて、無限の表情があると言われているから。
羽賀さん:ポジティブ感情・ネガティブ感情の両方ですか?
石川さん:そういうコンセプトで作られているらしい。顔の造りが左右対称ではなく右と左で微妙に違っていて、あらゆる感情が込められたものが能面なのだと。
それってもう究極だよね。
「ものごとを細かく分解して理解する」のはわりと普通だし想像もつくけれど、能面は「調和していく」という発想。色即是空であり、空即是色みたいな。
佐渡島さん:レオナルド・ダ・ヴィンチの作品『モナ・リザ』は、彼が「すべての人をリラックスさせる笑み」を追求するために描いたものだという説を唱えている人がいて、僕はそれをすごく面白いと感じた。
笑顔って強すぎると警戒する人もいるし、笑っているのかわからないと不安にもなるよね。
どんな人も受け入れ、安心を与える微笑みという視点で『モナ・リザ』を眺めてみると、なるほどと思う。
石川さん:ちなみに般若の面も「怒り」の裏には「悲しみ」があって、面の上部分が「悲しみ」の表情、下部分が「怒り」の表情とされているね。
だから悲しみを表すときはグッと下を向いて上半分を強調するし、怒りをぶつけるときは逆に上を向く。
人が怒っているときって、同時に悲しんでもいるってことか…確かに、怒りの根源を探っていくと、悲しみにつながっているところもあるね。
とにかく僕は、あらゆる感情を集約させた能面のような気持ちで、日々を生きてみたい(笑)。
佐渡島さん:能面、面白いね。模写していたら絵がうまくなるだろうな。
羽賀さん:その日の自分の感情によって、見えてくる表情も変わる気がします。
佐渡島さん:そうだ羽賀君、カッコイイ能面を見つけて飾ろうよ!
感情について毎日考えるようになるよ!
羽賀さん:夜にふと見たら、すごく怖そうですけどね(笑)。
出典 感情は、すぐに脳をジャックする
この記事を読み終わったあなたのなかには、どんな感情が浮かび上がったでしょうか?
日々、意識することが少ない感情。「じつは、そのひとつひとつを分解して捉えていくことで人は幸せになれる」と、石川善樹さんは言います。
感情を深く知ることは、仕事にも、人生にも、大きな影響が与えられるはず。ぜひ、少しでもいいので自分の感情を振り返る時間をとってみてください。